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脱・バレンタインデー

名刀・名器、アゲマン、サゲマン、潰しマン、逆も真なりの巻

まず初めにおことわり。
当ブログの文章は下品です。お読みになる方はあらかじめ心してお読みください。
不謹慎、不適当、そのような内容が含まれています。ご容赦願がいます。

当地フィリピンはクリスチャンの国なので、バレンタインデーは重要な「行事」の一つ。
日本もそうかもしれないけれど「バレンタインデー商戦」花盛り。プレゼントをしたり、されたりが得意で無い私にとっては、嫌な時期です。

バレンタイン2

バレンタイン1


したがって、わが社では「義理チョコ」は無しの通達を出している。
バレンタインの日にこんな話をするなんて無粋極まりないが、私のようにジジイになってしまえば愛なんて人類愛か家族愛しか縁は無くなる。思い出したようにスケベ心を起こして若い女性を追いかけまわしても、結局、騙されると言うか、単なるこちらの思いこみに気付いて、しょんぼりするのがオチとなる。
師匠に「おまえ、老醜なんだよ。」と諭される。
大いなる勘違いと言う奴は始末に負えないものなのだ。
それで、やっぱり女よりも「男の友情」だよ、なんて一時言っていても、そのうち、また、バカが疼いて同じことを繰り返す。今となっては救いようがない。バカは死ぬまで治らないのであるが、さすがに気力も体力も金力も無くなってきた。

随分前になるけれど、田辺聖子さんの「名刀・名器」と言うエッセイを読んだことが有って、至極、納得し、以来、ずっと、そう思い込んでいる。
http://b-bunshun.ismcdn.jp/mwimgs/1/6/480/img_16ba1bd1ceb51f7d09a2a0c450522330159986.jpg

バレンタイン3

何の長さだとか、何の締りだとか、そういうのはそういうことにかかずらわっている時に感じる物で、それにネッチュウしなくなればただのグロでしか無かったりするが、それでも愛おしいと思えるのが愛なのかも知れない。「物」のサイズや機能なんて、たいした問題ではないのだ。一言でいえば「相性」こそが大事で、ストレス無く「なじめる」かどうかなのだ。

私が好きな作家、色川武大さんに「離婚」、「ふくちん れでぃ」と言う小説がある。

http://ecx.images-amazon.com/images/I/41TkWIfrysL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU09_.jpg

バレンタイン4

「離婚」の方は結婚した相手が只者では無くて、「痴人の愛」よろしく、奔放な女性に翻弄されるという話だが、妙に面白い。離婚したものの、また、同居し始めたと言う話。本当は男と女の大変な関係を「ふんわり」と書いている。私などはとてもそんな呑気ではいられないだろう。浮気者の私が言うのもだらしないけれど、地獄の底をのた打ち回るに違いない。

ジョン レノンの歌で
"Jealous Guy" と言うのがある。嫉妬は恋愛の起爆剤でもあるけれど、人生を破壊するぐらいの力もある。
恋愛とジェラシーはワンセットで、ジェラシーが判断を誤らせ、問題を大きくする。
昨今、恋愛の果てに殺人事件をおこしす事件が後を絶たないのは、そういう理由である。

http://www.youtube.com/watch?v=njYuMw5DuCc&list=PLAB5868D6C161A386&index=2

有名な映画「風と共に去りぬ」。
言わずと知れた マーガレット ミッチェルの本で聖書の次に世界中で売られた本とのこと。3600万部とか。
スカーレット オハラ役のヒビアン リーは私に言わせれば悪女で、男をダメにする女性に思える。最初は余裕綽々のレッド・バトラーが結婚した後にも色々と有って、嫉妬の故に人格が変わってしまう。
彼が最後に言うセリフはアメリカ映画史上もっとも、有名らしい。

「Frankly, my dear, I don't give a damn.(知らないね、勝手にするがいい)」

ジジイはその記事を読んで笑ってしまった。
おそらくだが、世の多くの男は、そう言って出て行きたいという気持ちを少なからず持っているのかと。
私何ぞは間違っても口に出してはならないセリフです。
包丁が飛んでくるに決まってる。
それを言った途端に私の居場所はない。
「出ていけ ! この宿六が ! 」

いろんな読み方はあるだろうけれど、主人公の二人とも「嫉妬」によって人生が大きく変わったと言えなくもない。
世紀の大作をそんな視点でしか見れない私はレベルが低いとは思う。

それに比べれば色川武大さんの「ふくちん れでぃ」は可愛い。
アゲマン とか、サゲマンとか有るけれど、男の私としては「ふくちん」で有りたいものだ。
そう呼ばれたい。なりたい。
この小説の主人公は何ともかわいい。
是非、お読みください。

ちなみに我が女将は「ふくまん」だと思う。
この30年あまり、仕事に集中出来たのも彼女の御蔭と今更遅いかも知れないけれど、よく分かった。
感謝にたえない。
私のような野良猫を飼いならしてくれた、誠に有り難い御人なのだ。
彼女に言わせれば、私は「上げてもくれなかった」けど、「下げもしなかった」らしい。
しかしながら「貧乏チン」ではあるらしい。
「騙された」とも、
「あっちこっち行って、棺桶に入りそうになってから帰って来るんじゃないよ。」
とも申される。
「役立たず」と言われた時から立ち直れずに十数年。
せんだっての大雪を心配して日本に電話したら娘が出て、
「お母さんは雪かきしている。」と言う。
「お母さんに役立たずでごめんね、と言っておいて。」と私の言。
翌日の会話会談、彼女、高笑いの後に
「当てにしておりませんから。」と。
そうだわな・・・・。

ところで、私の知り合いで「さげまん」どころか「つぶしあん」ならぬ「潰しまん」と思われる人がいる。
彼女と暮らしたら、永遠に心の平和を確保するのは困難と思う。
それでもお付き合いなさって良い関係を築かれた御方が出現したら、私は最敬礼いたします。
誰のことかって?
言える訳ないでしょ。口が裂けても。
私も人の事は言えないのだけれど。

バレンタインにこの話・・・・・。夢も希望も無い。ジジイはヤダね。
御免なさい。


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2014年02月16日 | Comments(1) | Trackback(0) | 読書

多忙は救いだが「ブログは継続」しないとね。

「忙しい時に本を読む癖が治らない。」

ブログのアップの間隔が随分と空いてしまった。仕事を上がってからは本ばかり読んでいた一か月でした。仕事が忙しくて文章を書く体力が無かったのだ。つくづくと「書く」と言う行為は「力技」だと思う。ブログとは言え、やはり「表現」なので何を書くにしても、それなりの決意がいる。
仕事から帰ると酒を飲み、飯を食らい、その後は、まるで入院患者のようにベッドに寝転びながら本を読む。力尽きて、電気をつけたまま寝ている日々であった。
以下、8月に読んだ本を順不同゛列挙してます。

読書1

これは傑作だと思います。毎日、ベッドの中で読んでいますが、夜中でも目が覚めると読み始めてしまう。会社休んで読みたいと思うけれど、忙しいので休むわけにもいかず・・・・。つかさんのいくつかのテーマが網羅されていると思う。調べたら紹介文に「渾身の」と言う言葉が使われていた。納得。
買った当時は「荒唐無稽」に思えて読み進めなかった。最近、「ストリッパー物語」を再読し続けて読み始めたら一気読み。史実に大胆な虚構をつなげ愛の物語にしたところが、つかさんの力技だったと思う。同時に自身の出自も含めて政治的な立ち位置を鮮明にしたのだったのかと今となれば思う。東電事故を経験した今、放射能の恐ろしさも表現している。ただ、文字通りに読めば「広島に原爆を落とす」意味が愛の為だというには抵抗を覚える。背後に日本と朝鮮との歴史的経緯があったとしても、です。はしょったのかシンボル化したかったのか疑問が残る。

読書2

戦中戦後を生きた先達の苦労は計り知れない。姜氏と同年代の私も彼らを見て育った。彼らのおかげで今がある。彼の母は文盲ではあったけれど商才と気力、体力で時代を生き抜いた。最終章は目頭が熱くなった。姜氏の母を慮る気持ちが伝わってきた。しかし、小説というよりは「一代記」なのだろうと思った。小説の文章とは言えない気がした。姜さん、ごめんなさい。でも、思いは伝わってきました。感謝。私も若くして死んだ母を思い出した。働きづくめの母であった。

読書3

1975年に満員の紀伊国屋ホールで観劇。帰りに明美役の根岸さんとエレベーターで乗り合わせる幸運にも恵まれた。読み直すと小説版は私の中に残っていた印象と異なっていて戸惑った。つかさんの屈折した信条、愛の世界は我が身の恥部をあらわにされているようで痛痒い。リリー・フランキーさん、渡辺真起子さんで8月3、4日に再演されたと知る。当時は照明係の視点で見ていた。今はシゲさんの視点で読んでいる自分に気づく。40年の間に私の役回りも変わったのだ。そんな気がした。つかさんは望遠鏡と顕微鏡を合わせ持っていた方だと思う。

読書4

8月15日の戦没者慰霊祭までには読み終えたい。日本軍がフィリピンでした殺戮の限り。戦争はしてはならないのです。改めてそう思います。
著者の筆力は素晴らしい。歯切れよく深い。フィリピンから見た日本の戦犯たち。死刑囚も含めた戦犯を恩赦によって解放した時のキリノ大統領の考え方に深い感動を覚えた。永井さんのこのような地道な書物を読むことが出来て、学究の方々の存在意義を改めて認識しました。歴史のかなたに消えそうなことをこのように後世に残された。感謝です。中国、韓国の方々にも読んでもらいたい内容でした。

読書5

アメリカにも貧しい時代があった。しかし、貧しくとも仲間がいて、希望があった。現実と闘う思いがあった。生家が没落していく過程、母の狂死、若くして放浪を余儀なくされた。ボブ・ディラン等、多くのフォークシンガーに影響を与えたウッディガスリー半生の自伝。幼い頃から観察眼をもっていた彼が表現したいという欲求から絵筆を取り、やがてギターをひきながら歌い始める。食い扶持を稼ぐ方法でもあったが、一貫して放浪の民、労働者、底辺の人々と共に生き、彼らを表現し、支えた。言葉や音楽は人に力を与え、人を動かす。そうでした、ね・・。

読書6

ああ、女性の文章だな・・・と思いました。良い意味で。優しいまなざしがある。しぶとい思いがある。御歳のゆえかもしれないと思ったら、そうではなかった。辺見さんの人柄から醸し出されたもの。その幅広さにも驚きます。何か、読み終わった後に、年上の女性と話をしていて、じわっと包み込まれたような感覚を味わった。久しく味わっていない感覚だった。思わずお辞儀をしたくなるような・・・・。ありがとうございました。辺見さま。

読書7

「広島に原爆を落とす日」の次がこの本。我ながらどういう頭の構造しているのか分からない。小沢昭一さんが熱を入れていたし、駒田信二さんも本を書いている。「反体制文化」の象徴という役回りをしたこともあった。マスコミ上だけで知っていた彼女の死までのドキュメント。真実とは残酷なものだ。
嘘で覆われた人生。筆者の丹念な取材と、一条さゆりの晩年から死までの間の交流を横糸に織りなす大冊。

レベルは全く違うけれど、ストリッパー時代に知り合い、その後も付き合いが続いている今は「元ストリッパー」のガールフレンドがいる私にとっては他人事ではない。何故、嘘をつかなければならないのか・・・と言う人間心理が何とも・・・・・。そうだわね、嘘つかないで生きていられるほど、世の中は親切ではない。生きていくためには嘘も必要なのだ。
人を貶める「嘘」と、自分を守るために脚色する「嘘」は違うように思う。
人に危害や損失を与える嘘と、自分を守るための嘘は別物だと私は思う。

文中、誰かが言った言葉。「裏街道の人が表にでちゃダメなんだよ。」
でも、ね。
普通の仲間にさえいらてもらえなかった、だから裏街道で生きざるを得なかった訳であって・・・・。

そして、裏街道から必死に出ようとしている人もいる。
当たり前だが積極的になりたくてなったわけではないからだ。
また、そのような世界で生きながらでも、自分の子供を、家族を大事にしようと頑張っている人もいるのです。


この8月に読んだ本は、それぞれに人間の業の深さ、弱さ、優しさを違う角度から教えてくれた。
そして結局、人は何によって生きているかといえば、何のために生きていられるかといえば、
「愛」のためなのです。
でも、その人間を壊してしまうのも「愛の仕業」なのだね・・・・。


爺さんや、何、言ってんだか・・・・。
さんざんグチャグチャな人生を送ってきて、還暦過ぎても、いまだグチグチャのまんま。
アンタに「愛」なんて講釈されてもね・・・・・。

今月も残すところ、あと三日。本ばかり読んでいないで、仕事しい、仕事。

(ブログも書かないとね。実はブログを書こうと思って撮った写真も有るのです。9月にはアップしないと。
日本にチョイの間、戻ります。今年の誕生日は久しぶりに日本で迎えそうだ。)


2013年08月28日 | Comments(0) | Trackback(0) | 読書

2013年 寝「読書」正月 で幕開け。

「宿六なんか叱っても何もしない。」

猫なんか

年も押し詰まった28日、29日、かねてより心臓に不安があったので検査する羽目になり、仕方なく、年末も正月も「静養」を決め込んで家に閉じこもっていました。

齢は取りたくないものです。
齢取るとツマンネー、です。

28日は会社の忘年会だったのですが、検査結果が出るまで酒も飲めず、いまいち個人的には盛り上がりに欠け、忘年会の雰囲気を盛り下げたのではないかと申し訳なく思っていました。
もっとも、元気だと人様の迷惑も顧みず、一人でしゃべくりまくっているので、新人も多く入り、時代も変わりつつあり、それはそれでよかったのかも知れないとも思います。

ジジイは大人しく彼方を見ている方が良いのかも・・・・。

そんなわけで正月は寝正月を決め込み、「寝読書正月」にすべく古本屋、本屋を回り何冊かを調達し、守谷旅館の女将の手料理を食べては読み、喰っては寝、起きてはまた読み、食べ、読み、寝る、起きて読み、腹が減れば食べ・・・の繰り返し。それを時間に関係なくするものですから、家族は大変だったろうと思います。
「まったく 宿六なんか 叱っても 何もしない」でありました。

それにしても2012年は大変な年だった。
さっさと忘れたい。そう思っておりました。嫌なことを忘れるには読書が一番。

あんぽん

沖縄

日の丸が

東南アジア

大往生

都合、2500ページ余り。
最後は目がショボついて、かすんでしまって、目薬を差しながらの読書三昧ではありました。

で、今年は読書の時間を少なくして(出来るんかいな・・・・)、物作り、鞄を考える時間を増やそうと、もうろうとした頭で考えておりました。
ところで、私が何故、本を読むか・・・と言う理由なのですが、仕事のことを考え始めると「不眠症」になってしまうことが有るので、いや、これは正しくない表現です。酒飲みで、かつ年寄りなので私は寝るのが早い。ために夜中の一時二時にぱっちりと目が覚め、その時に運悪く、仕事上で抱えている問題が脳みそを直撃した時には、それ以降眠れないことになるのです。そんな日が続くと拷問に近い状態になります。ジジイに寝不足はこたえます。非常につらい。

本を読み始めますとそれに集中できるので、問題を考えなくて済みます。寝る前には本を読みます。そして、ほどなくもうろうとして来て、やがてパタリと寝入ってしまいます。そして、また目が覚めたら、まずは私と一緒に寝ている本を取り上げて、また読み始めるのです。いわば睡眠薬代わり。睡眠導入剤変わり。決して健全でも無く、意識が高いからでもないのです。いわば生活の知恵。

そういう動機ではあれ、面白い本に出会うと、非常に幸せな気分になるのです。夢中になります。
夢中はすくいだ !
実に単純細胞。

2013年の正月はそんな有様でしたから「充実していた」んだか、何だかよくわかりません。実はつらいことから逃避していた正月とも言えるのかも知れません。

そんなぐうたら亭主に文句も言わず、せっせと餌をこしらえてくれた守谷の女将のありがたきこと。ホントに世話を掛けました。
その女将に
「猫なんかよんでもこない」を渡したら、女将もまた、こたつに入って読み終わるまで動かず。
私は猫レベルなのです。

女将が読み終わるまで、私はお腹すいたとも言えず、時に声を立てて笑う女将の傍で他の本を読んで大人しくしていたのでした。

そして、あっという間に日は替わり、フィリピンに戻る前日、正月二日になりました。
いくら何でも、一歩も外に出ないという訳にもいかない。

昨年亡くなった、小沢昭一さんの「僕の浅草案内」を読んでいた私は、初詣は浅草寺と吉原神社に行こうと思っていました。
浅草寺は「ほおずき市」で、弊社の名前の基になったお寺さん。

浅草寺

「吉原神社」は遊女にゆかりのある神社。何で私はそういうことに惹かれるのだろうか・・・と思うのですが、深く考えるのはやめて、色っぽい弁天様を見てため息をついていたのです。

吉原神社

二番目の娘と二人で散策は楽しかったのですが、普段、歩くことのない私の股関節が悲鳴を上げ始めて、最後はぎこちない歩き方になり、情けない思いになりました。
このおなかを引っ込めるためにも、今年は歩かねばなるまい。

浅草寺の「おみくじ」は「吉」。
「凶」を引いた娘に「あんず飴」を与え、のんびり、のんびり。
浅草は良いな・・・・・。
目的がない、時間の制限がない散歩というのは、なんて気持ちが良いのだろうか。
おりしも「添田唖蝉坊著作集・浅草底流記」を読んでいるので、身近に感じることが出来ました。
大道芸人もいましたよ。
御神楽もいました。

道中、小沢さんがいろいろなところで書かれていた「浅草ロック座」の正月興行ストリップを見たかったのですが、

ロック座

常識はずれの私であっても、さすがに22歳の娘に一緒に入って見ようとも言えないし、
「父はここを見てから帰るから、君は先に帰って」とも言えず、二人でブラブラしながら、時に浅草メンチをほおばり、昼には十和田蕎麦を食べ、仲見世を一通り冷かして帰途に付きました。

浅草メンチ

こうして10日あまりの日本滞在は終わり、
翌朝、5時起きで成田に向かい、機中の人となり、昼過ぎには「夏のようなフィリピン」に到着したのでした。

ジジイにはこの温さがたまらなく有り難い。
汗ばみ、10日いただけで乾燥肌になった肌も、しっとりして来たように思います。

さて、新年です。今年は、いっそうに頑張らないと・・・・。
そう思いはしたものの、猫に餌をあげて、お酒をあおり、ベッドに横になったら、何時間にか寝てしまったのでした。

変われるかな・・・・・。

こうして、新年も本日でほぼ10日が過ぎ、師匠と二人の「新年会」も終わり、本格的に年が始まっているのです。

遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。

出来に納得していないのですが、
今年の年賀状の図案です。

2013年賀状

今年のテーマは「常山の蛇勢」。
そうでないと厳しい2013年を乗り切ることはできまいと直感しています。


正月から「脱力していてはイカンよ。猫じゃないんだから。」
「はい。」

2013年01月12日 | Comments(0) | Trackback(0) | 読書

神田に行ったら「第53回・大古本市」に出会った。

神田に行ったばっかりに、女将の襲撃に耐えるの巻。

読書の秋。神田では10月27日から11月3日まで「古本市」が開かれています。

http://www.enjoytokyo.jp/shopping/event/668310/

日本に一週間の予定で戻っています。フィリピンに月末に帰ります。
用があって神田に行ったら年に一度の古本市をやっていました。

運が良いと言おうか、間が悪いと言おうか・・・・。

神田2

神田1

フィリピンでお世話になっている方に「元祖 浅草観音 七味唐辛子」をプレゼントしたいと思ったこと。

神田3

最近、辛いことが多いので観音様に願を掛けたい心境だったこと。

神田4

読みたい本を買いたかったこと。
それで神田、浅草を回ってこようと思ったのでした。

神保町ブックフェスティバルもやっていて、その会場で、フィリピンのティナラク(芭蕉布)で作った小物をワゴンで売っている方に出会いました。小雨の中、少し話をして、一回りしてから、もう一度戻り、見事な出来に感心して買うこととなりました。
「ティナラク織りの会」KAFTI さんの仕事でした。

http://kafti.blog.shinobi.jp/

守谷の女将に見せたら、とても良いと褒めてくれました。これなら欲しい、と。それなのに、ジジイは意地悪くサンプルにするのだし、スタッフに説明しないとならないので、今日は
「あげない。」とツレナイ返事をしてしまったのです。

ティナラク

夕方、その仕返しでもないでしょうが、利き酒用の御猪口で二杯のみ、「アメリカに潰された政治家たち」小学館、孫崎享著 をこたつで読みながら、いつの間にか転寝していたら、女将の怒鳴り声。眼を開けてみると逆さまになった般若顔の女将が仁王立ち。手には鍋。

ん、はて、事態を飲み込めぬ私が、開いてんだか開いてないのだか分からない小さい眼を瞬かせておりましたところ、女将が言うことには、何でも、女将が仕事している間に小腹を空かせた私が自分で作って食べた味噌汁の鍋が黒焦げの様子。
ガス栓を切ったつもりが切っていなかったらしい。
「あんたをだから一人にしておけないのよ ! 」
「あい、すみません。」

「死んだらよかったのにな・・・」とボケたら、エルボードロップを見舞われました。

女将の機嫌の悪さの原因は

神田5

こたつ布団からはみ出た本が目に留まったからであったと思います。

「あんた、ジーパンのお尻のところがすれきれそうだから、新しいのを買っておいで。」と言われたのに本に化けたからであります。

でもな・・・・・神田に行っちゃったものな・・・・・・。
「ジーパンはまだはけるがこの本は今日しか買えない。」何時もの出鱈目な理屈。
意志の弱い私に神田は無いよな・・・・・。

そもそも、何故神田に行ったかのきっかけですが、二番目の娘が日曜日だというのに学校に行って勉強すると言うから、彼女とのデートが無くなって、しかたなく8時半ごろに一人、朝風呂入っていたら、ロッカーのカギを忘れたから神田の学校まで届けてくんない・・・・との電話。それがこんな事態を生んだのだった。
一級河川を4本も越えて、花のお江戸の神田だよ・・・・。

本を見ればお金は消える。我が家ではそういうことになっている。
宵越しの銭は持たねえ・・・と啖呵を切りたいところだけれど、河を超えた側とはいえ江戸出身の女将に反撃されるのが目に見えていたので、言うのを辞めました。

心の中は満足感でいっぱい。良い買い物だったな・・・。添田唖蝉坊の全集のうちの二巻。我が尊敬する小沢昭一が尊敬するお方の本だ。半値。もう一冊は、米原万里さんこれはなんと75%引き。しかも、絶筆の連載「発明マニア」。
出版社の人と目があった。それよりも米原万里という著者と目が合った気分。これはファンとしては買わねばなりますまい・・・・。
「あああ、名前見ちゃったよ・・・・」。ここであったが百年目・・・・だっけか。逃げられなかった。やれやれ。

神田6

すみません、無断で載せます。控えめな笑顔がいかしています。何方かは存じません。

こたつの布団の脇から出てくる物を一通り説明したら、
「他には !」と女将が申します。

よくぞ聞いてくれました。私は嬉しそうに言ったのです。
新刊はこの一冊だけで、書泉グランデで「赤いコーリャン」岩波文庫 を買いました。
本年度のノーベル文学賞。莫言著。これは傑作です。
私は映画で見て、それ以来、チャン・イーモー監督、コン・リーのファンになりました。その原作とあらば買わないわけにはいかない。だって、今朝の朝日新聞の読書欄で紹介されてたよ、ほれ。

神田7

村上春樹さんには申し訳ないけど、私は彼だったら、納得で御座います。
「これはほら、あんたに似た 名女優のコン リーが主演の名画の原作で・・・」

「ごまかすんじゃない !」女将のフライング ボディプレス攻撃。

うっ ! 
うっ !
うう・・・・・。


(元はといえば、娘がロッカーのカギを忘れたのがいけない。気をつけなさい。ほんとによ。いい迷惑だ・・・・。)
2012年10月29日 | Comments(0) | Trackback(0) | 読書

本を読むのは旅するのに似ている。

石井光太「アジアにこぼれた涙」

アジアにこぼれた涙

著者は私の息子と同じ齢で1977年生まれ。
この本を書いたのは20代の前半と言うから驚きでした。若い。息子とは「原発」の事などは話をしますが、世情の話はあまりしたことがありません。息子がこんな報告をしてきたら、私はどういう反応をするだろうか。そんなことも考えながら読みました。

アフガントラックの絵師・・・・アフガニスタン
ダルフールからやってきた兄と妹・・・・スーダン
ジャカルタの失恋者たち・・・・インドネシア
イメルダが私に願ったこと・・・・フィリピン
クリシュナと「長髪」の花園・・・・インド
歓楽街の注射娘・・・・タイ
はかない夢・・・・フィリピン・インドネシア、ベトナム
誰がために金は鳴る・・・・ブータン・ネパール
砂漠に消えた少年・・・・イラン
白浜で踊る・・・・スリランカ

どの章も一言で言えば「切ない」。
日本と言う「恵まれた国」で生まれ育ち、生活している我々には想像も出来ない世界があります。
「貧困と戦争」
我国は第二次世界大戦の敗戦のあと、急成長を遂げ、今は双方とも「無縁」です。
「平和ボケ」などと揶揄する人もいらっしゃいますが、それでも「貧困と戦争」の渦中に巻き込まれることが無かったのは、やはり、素直に幸運だったと思います。
平和憲法を持っていること、守ってくれた方々に感謝します。

私は小説も詩も読みますが、とりわけノンフィクションを好んで読みます。
ノンフィクションの中には「ルポルタージュ」も入ります。
石井光太さんの本は範疇としては「ノンフィクション、ルポルタージュ」なのだと思います。自分の足で歩き、自分の眼で見て感じたことを文章にしているわけです。
書かれてあることは現実です。

鎌田慧氏、本田靖春氏、野村進氏、そして私が今、最も注目して読んでいるのが佐野眞一氏。
(最近、問題になった「週刊朝日」の記事は佐野さんがどこまで筆を走らせたのかは存じませんが、佐野さんにしては乱暴な文章だったと思いました。)
「日本を捨てた男たち」を書かれた水谷氏もルポライタ―であるでしょうし、ノンフィクション・ライターと思います。

私が若い頃にはルポライターの先駆け、石田郁夫氏、鎌田慧氏、高杉晋吾氏がいらっしゃいました。
広い意味で言いますと私が尊敬している小関智弘氏はノンフィクションもフィクションも双方書かれます。

「通りすがり」であるルポライターが書いたルポルタージュは、そこで生活している人達にしてみれば「書かれていることは一部に過ぎない。」と感じると思います。
しかし、その一部で世の中の不備や矛盾、本質を文章として表現しているわけです。
住んでいる人間から見ると、ちょっと違うんだよね・・・と思うこともありますし、逆に、私が気づかなかったこと、見過ごしたことに焦点を当てて示してくれることもあります。しかし、厳密に言えば、いずれの場合でも、それがすべてではない。書き切れるはずがないのです。そして、書かれた後も人は生き、「事態は動く」のです。絶え間なく。

「記録者は裁かれる。」とは、鎌田慧さんのお言葉ですが、記録する事は書かれた対象になった人に、いずれ裁かれます。その意味で大変な仕事と思います。

石井さんの本を読んで感じたのは文中にある現実を私が彼の著書を通じて「知って」、その後にどういう行動を私が取るべきなのかと言うことでした。
私は知ってしまった現実を前に、しかし、何もしていません。手を差し伸べることもしていない。

読んで、でも、何もしていない。
「読んで終わり」で良いのか・・・・・そんな自問を繰り返しては、夜な夜な酒を飲んで寝ています。

中国の反日デモさえ、イラクの戦争でさえ、路を一本隔てれば「平穏」なのだと言う方もいらっしゃいます。確かにそうではあります。紛争も戦争も、貧困もその場に居合わせなければ、過酷な現実を知らなくて済みます。見て見ぬふりも出来ます。
しかし、逃れようも無く、その場にいて傷つき、苦しみながら、その中でも「喜び」や「幸せ」を求めている人達がいます。

私は彼の本を読んで、そのことを改めて知らされたわけです。知ったわけです。

私はこの本を読んで、複雑な気持ちになりました。
少なくとも、私が住んでいるフィリピンのことはリアルにわかります。私は都心の高級住宅地に住んでいるわけではなく、地方都市に住んでいて、工場の周りにもスクォーターは有るからです。街中を走れば目にしたくなくとも目にします。見て、感動することもあります。

記録をする人、ルポライターは
「この現実を世に知らしめたい」との使命感を持って書かれているのだと思います。
それを読んだ、受けた私は何をしたら良いのか・・・・・。

最近、工場のスタッフの7か月の子供が重病にかかり、日比双方の会社のスタッフ全員がカンパをしてくれて、手術にようやくこぎつけた、そんなこともありました。工場で働いている社員も裕福とは言えません。どちらかといえば貧しい。でも、窮状に涙してカンパしてくれたのです。ありがたいことでした。

私に何が出来るか。何をしなければならないか・・・・・。

最近知り合った若いメール友達の一人がユニセフのバッグを買ったと知らせてくれました。非常に素直に「バッグが届いて嬉しい」と。そういうことしかできないけど・・・と。
私などはJALの機内でユニセフの寄付金の封筒が回ってきても、入れたことは有りません。何処かで抵抗がありました。愛の募金とかチャリティ何とかと言うイベントにも協力したことがありません。
私のひん曲がった根性のせいです。
その私が、その若者の素直な感想に感動したのです。

そこでフィリピンのパグサンハンに小さい図書館のような物を作れたらいいな・・・と考え始めました。
その話を何人かの人にしたら協力してくれるとおっしゃって下さいました。
新聞社の方、友人たち・・・・社員、ロンドンに住んでいる娘。
その図書館で子供たちが、絵本、童話を読み、映画を観て、そして絵を書く。
何とか実現にこぎつけたい。本読みの恩返しです。

石井光大さんのこの本の中に、そういうことをしようとした女性のことが書いています。彼女がしたことと同じことを私も出来たら良いな、と。
戦争で傷ついた娘の心を癒してくれたのは、絵を書くこと、歌を歌うこと、ダンスをすること、本を読むこと、そして、人を信じること、神を信じること。

私は岩手の山の中で育ちましたが、母親が持っていた本を手にするようになって本を読む楽しみを覚えました。
何歳かの誕生日にはその母親から「ハイネ詩集」をもらいました。今、世間を騒がせている石原慎太郎の「太陽の季節」も中学生で読みました。椎名麟三の「美しい女」などはエッチな事を書いているのではと思って読んだりしていました。
そんなわけですから、今でも、精神状態を平穏に保つために本を読みます。「駆け込み寺」に近い。もちろん、知らないことを知りたい・・・との欲求もあってのことですが。

私もまた私を救ってくれたのは読書だと思っています。そして、鉛筆と紙さえあれば「世界を創造」できます。
また、読書によって、行ったことも無い場所、空間を旅することが出来ます。

時には、表題の本のように読んでシンドイ本もありますが・・・・・ここにいて知らない世界を知ることが出来るのです。
そう思えば、本を読むのは「旅する」のと同じだな・・・と思います。
そして、旅する時にも本は欠かせません。

物作りも「旅」のようなものです。
2012年10月27日 | Comments(0) | Trackback(0) | 読書
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